さんぽ日和

翻訳者・翻訳コーディネーターが日々の散歩中に考えたことを書いています。家族のこと、仕事のこと、自分の身の回りで起きたこと、いろいろなことを考えながら歩いています。

写真撮影のコツを学ぶ

プロのカメラマンの方に撮影のコツを教えてもらう機会があった。趣味カメラ、ってかっこいいなぁという漠然とした憧れはあるものの、普段はスマホで適当に撮るくらいで、今やデジカメすら持ち出すこともほとんどない。でもこの春、我が家は卒園式と入学式という最大級のイベントを控えていて、当然、記念に残る写真を撮りたいという思いもある。

 

お話を聞いて、「あー、それはまったくできていなかったな」と思ったのが、事前準備。特に○○式の場合、式がどのように進行するのか、人がどのように動くのかをちゃんと調べておいて、それに応じて自分の位置取りをどうするかを予め決めておくと良いらしい。

 

という訳で、園の先生との話のなかで何気なく式の流れを聞き出してきては、一人密かに作戦を練っているところである(夫はビデオ撮影のため位置固定)。

 

でも、カメラマンの方も言っていたけど、入学式ならともかく、卒園式は自分自身が“この三年を振り返る”モードに入ってしまうと撮影どころではなくなる可能性が高い。3歳から6歳の三年間を涙なしで振り返ることは不可能だから。でもじゃあ、卒園式で “この三年を振り返る”ことをしないとすれば、一体どこでするというのか?

 

そんなことを考えていて思い出した。あー、そうだ。旅行も運動会も発表会も、私はいつも、その場で自分がやりたいことを優先させてしまうんだった。写真撮影そっちのけで。

観光地で顔だけくり抜いてある看板を見つければ、そこから顔を出したくなる方だし、子どもの運動会や発表会では一瞬たりとも見逃したくない。それで後になって写真がないと怒られて、自分でも少し後悔する。少しだけど。

 

上手く写真に残せない原因は私の行動にある、ということをイベントの前に明らかにできて良かった。とはいえ、卒園式ではやはり思い出に浸ることを諦めきれないだろう。ということは、必然的に撮影に集中するだけの冷静さも保てない、ということになる。だからこそ大事なのが事前準備! これを入念にして、思い出に浸りながらでも、ひっくひっく言いながらでも計画どおりに動けるようにシミュレーションしておこう。そして、娘の晴れ姿をちゃんと残せるように頑張ろう。

ひさしぶりに歩く

今日の正午までにやらなきゃいけないことがあったけど、なんとか10時半ごろに無事終了。お昼まで少し時間があったのと、先週から相当なエネルギーを費やした案件で、一回きちんと仕切り直しが必要だと感じたため、ひさしぶりにしっかり歩くことにした。

 

ひと仕事終えた安堵も手伝って、いつになく穏やかな気分で歩き出す。

「あ、川沿いの桜の蕾そろそろ膨らんでるかな?」

と、余裕があるときじゃないと絶対に浮かばないアイデアが浮かび、川沿いを歩くことにする。まぁ予想はしてたけど、蕾はまだギュッと固くしまっていた。それに、なぜか川からいや~な匂いがしてちょっと凹む。でもその後すぐ、つくしを発見して嬉しくなる。人生はやはり浮き沈みの連続だな、と思う。

 

ちょっと匂う川沿いを外れて、どんどん歩を進める。本当にいい天気で、どこかの学校の先生が「えー、みなさぁん、今日はぁ、雲ひとつない青空でぇ・・・」という挨拶をしているに違いないと思って、空を見渡してみた。やはり、雲ひとつない。それにしても、“雲ひとつない青空で・・”の部分は、間違いなく先生が本当に言いたいことではないと思うんだけど、結局記憶に残るのはそういう本質以外の部分なんだな。皮肉にも。

 

途中、銀行とコンビニに寄って支払いもろもろを済ませ、ぐるっと遠回りをして帰宅。歩数を確認すると7781歩。うーん、満足満足!とニタニタしていたら、アプリに「かおりさん、この時間に7000歩達成するなんてすごい!午後も頑張ろうね♡」と話しかけられる。「明日」じゃなくて「午後」なの!? 一応、午後の気分次第ですね、と心の中で答える。

 

さぁお昼を済ませたら、まずは次の仕事に備えてやることをやろう。そして、歩けたら歩く!

理想と現実のはざまで

一ヶ月近くぶりの更新。

「よし!ブログを始めよう」とやる気に燃えていた数ヶ月前の私は、目を細めてもその姿を捉えることができないほど今やはるか彼方に行ってしまったみたい。思った以上に早くこんな状態になっている自分に、情けないのを通り越して親近感すら覚える。

「ほんと、そういうとこあるよね~」

 

そんな私にとって、オリンピックの舞台で滑る羽生選手は直視できないほどまぶしい。完璧に美しくて強くて、でもどことなく儚くて脆い。それに、競技の後、リンクを降りてから見せる幼い笑顔(反則)。そんな表面的に見えるものとは裏腹に、実はとてつもなく強靱なメンタルを持っているのだろう。瞬間瞬間で限界に挑んでいけるだけの。ぐーたらな私が直視できない理由はそこにある。昨日テレビを見ていて、世の中にこんな23歳が存在することがちょっと信じられなかった。

 

改めて、ブログを続けるだけのメンタルすら持ち合わせていない自分にガッカリしつつ、私の良いところは消えかけたやる気をまあまあ簡単に再燃させられることだと思い出した(そうしてまずはブログに戻ってまいりました)。

私だってやるときはやる子だ!いつもいつもは無理だけど、ここぞというときの集中力には割と自信がある。あとはそれをどこで発動するか。もしかしたら“そのとき”が近づいているのかもしれない。羽生選手が昨日見せてくれた精一杯の足元にも及ばないかもしれないけど、“そのとき”がきたら自分の精一杯を出そう。そう思って、とりあえず気持ちだけはメラメラ燃えている(←今ここ)。

 

一昨日と昨日の羽生選手に理想を見て、現実に戻ってきたら私のやる気も戻ってきた、という話。現実を見ることはもちろん大事だけど、今はまだ遠い理想を見ることも同じくらい大事なのだ。

翻訳が上手くなりたい

理想とする翻訳ができなくて落ち込むことがよくある。

自分の訳文を読んで、すーっと入ってこない。まずここでため息が出ちゃうけど、なるべく早く気を取り直して、そんなことになってしまった原因を探ってみると、たいがい、原文の理解に不安が残っているか、原文の内容を訳文に上手く反映できていないかのどちらかだ。基本中の基本。でも、考えれば考えるほど、それが翻訳のすべてだと思う。

 

原文を正しく理解するには、英文法を理解しておくことも、背景知識を蓄えておくことも大切だけど、何より常に自分の解釈に疑問を持つことが大事な気がしている。思い込みというのは本当に厄介で、たいていの場合、自覚がないままにやってしまうから危ない。原文を自分の中に取り込むときはどこまでもどこまでも謙虚に。

 

そうして理解した内容を訳文にするのが、これまた本当に難しい。原文が透けて見える訳文では、たぶんゴツゴツしすぎてすんなり飲み込めない。でも、いくら飲み込みやすくても中身が本来のものと違ってしまっては翻訳ではなくなる。とはいえ、オリジナル言語とターゲット言語の間には性質的にも文化的にも多かれ少なかれ違いがあるはずだから、まったくの等価にすることなんて無理があるわけで・・・・・・(こうやって言い訳ばかり並べたくもなるほど難儀だ、ということを主張しています)

 

何年も前から、同じような壁に繰り返しぶつかっては、落ち込み、投げやりになり、でもまたヨロヨロと立ち上がって進んできた気がする。

悲壮感が漂ってしまっていますが、翻訳が好きでたまらないのです、本当に。だからこそ、思うようにできなくて真面目に凹むんだと思う。

 

翻訳者として目指したいのは、原文が伝える内容を極力そのままの形で訳文に映し出すこと。当然、単なる情報を伝えるのではなく、読み物としての品質の面でも極力原文に近づけたい。

とてつもない離れ業だと思うけど、そのためにやれることはまだまだある。日々それをコツコツとやっていくのみ、と自分に言い聞かせて今日も頑張ります。

 

インフルエンザから復活

何年かぶりにインフルエンザに罹り、この一週間はほぼベッドの中で過ごした。診断を受けたその日に夫は一週間の出張へ。幸か不幸か。まぁでもたぶん、“幸”なんだろう。

 

保育園への送迎は母親に頼んだので、朝子どもを送り出したあと夕方帰ってくるまで、一人でひたすら寝るという日々だった。

頑張れば起きていられなくはなかったと思うけど、別段頑張る必要もないか、ということで、いろいろ迷って『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をお供にベッドに居座ることにした。各方面に怒られそうですが、正直なところ幸せな時間。でも身体はそれなりにしんどかったのです、本当に。

 

村上作品は好きで、たぶん大半を読んでいるけど、ハルキストと胸を張れるほど中身を消化できたためしがない。『色彩を持たない~』もそう。読んだあと、これを自分の中にどう落ち着けたら良いのか、整理しようにもどう手をつけてよいか分からない。それで、いつまでもあれこれ考え込んでしまう←今ここ。

というわけで、身体はすっかり元気になったけど、頭はまだ半分別世界に浸っているという状態です。

 

幸い(これは本当に“幸”)、今のところ家族には感染していない。娘とは本当は別の部屋で寝たいところ、まだ一人では眠れないので、互いに頭と足を入れ違いにして、私の頭を開け放したドアの近くに置き、しかもそのすぐ近くで空気清浄機を常時フル稼働させながら寝た。俯瞰図がシュール過ぎてふと笑えてきたものだけど、案外成果があったのかもしれない。

 

十分休んで元気になったので、あとはこのまま何事もなく冬を乗り切りたい!

2018年 お正月

新しい年が始まった。

子どもの頃から年末年始の過ごし方は基本的に変わらない。

年末は家族で大掃除→買い出しへ。大晦日になり、母がおせち料理の準備を始めると、こちらとしても「いよいよか」と気持ちが高ぶってくる。夜になったらこの日ばかりは解禁される大量のジュースやおやつ、長時間のテレビ視聴、夜更かしを存分に楽しんで、だらだらと眠りにつく。元旦の朝は、餅とおせちを前に、どことなく厳かな空気を醸し出した父からお年玉を受け取る(そんな父はこの後じきにへべれけになります)。家族で初詣に出かけて古いお札やらを処分してしまえば、やることは大体終わり。親戚の家だろうが自宅だろうが、あとは3日までひたすらやりたいことをやって過ごす。当時は、凧あげもカルタも心底飽きるまでやった気がする。そして、だいたい3日にもなれば普段の生活が恋しくなる。人というのは、たとえ子どもであっても、何か意味のあることをしていないと案外落ち着かないものなのかもしれない。

 

あくまで個人的な意見だけど、私はいまだにこの年末年始の過ごし方が最高だと思っている。だから自分が親になった今も、なんとなくこの過ごし方にならっているし、この先もそうするだろう。

 

でも、いくらしきたりにならおうとも、一緒に過ごす相手は時の流れとともに変わっていくもの。とても寂しいけど、昔お年玉を一番多くくれたおばあちゃんはもういないし、一緒に遊んだいとこたちも今ではそれぞれの年末年始を過ごしている。不思議なことに、その瞬間は、来年も再来年もずーっと同じ人たちと同じような時間を過ごせると錯覚してしまうけど、そんなことはあり得ないのだ。

 

今年の正月、父は箱根駅伝を見ながら寝落ちしそうなところを何度も孫たちの奇襲攻撃を受けながら、この上なく幸せそうな顔をしていた。母は70歳にもなるのに職場で頼りにされていることを、半分迷惑そうに、半分誇らしげに話していた。そんな両親と兄弟姉妹、姪っ子甥っ子と一緒にゲラゲラ笑って過ごした今年の正月のことを忘れないでおこうと思う。

思いがけない贈り物

ちょうど家族でクリスマスパーティをしていた先週末の夜のこと。

いつもお世話になっている会社の方から荷物が届いた。ダンボールに入っていてずっしり重い。

「ん?仕事の資料?」

一瞬あれこれ思い返してみたけど、埒があかないことに早々に気づき中身を見てみると、それはひとつひとつ丁寧に新聞紙にくるまれた野菜だった。同封されていた手紙には、「事務所の近くの畑で採れた野菜のお裾分けをいただいたので、そのまたお裾分けです」とある。

野菜を包んでいた新聞紙はどれも少し湿っていて、新鮮なものだとすぐに分かった。

一つは里芋。土がついたままで美味しそうなのがごろごろと。見た瞬間に味噌汁の具にしようと決めた。とにかく冬はいつだって根菜入りの味噌汁が恋しい。

もう一つの野菜は・・・何だろう、これは。見た目は大根に似ているけど、大根より明らかに短くて、色が薄紫。恥ずかしながら名前が分からず、“紫 大根”でGoogle検索してみた。・・・紫大根。良かった、エシャロットみたいなトリッキーな名前じゃなくて。

ついでにレシピも見てみると、サラダや甘酢漬けにして食べることが多いらしい。一般的な大根は煮物にしたときのトロトロ感が大きな魅力だけど、こちらは生のシャキシャキ感が売りのようだ。胃腸が疲れ気味になる年末年始には一層ありがたい。

 

早速次の日から着々といただいている。もちろんどれも美味しい。

そうだ、紫大根の甘酢漬けは両親にも持っていこう。そう思ってふと、自分で作ったわけじゃないのに、紫大根と言う名前すら知らなかったのに、「美味しいでしょ?」と自慢したい気分になっているのに気付く。変だけど、まあいいや。きっと喜んでくれる。

 

例えば “お歳暮”とのしが付いているような贈り物だと、お返しのことを瞬時に考えてしまうのだけど、思いがけず新鮮なお野菜が届いたことが純粋にものすごく嬉しかった。

すべて大切にいただきます。ありがとうございました。

この野菜を作ってくれた方にもいつか直接御礼を言えたらいいな。