さんぽ日和

翻訳者・翻訳コーディネーターが日々の散歩中に考えたことを書いています。家族のこと、仕事のこと、自分の身の回りで起きたこと、いろいろなことを考えながら歩いています。

2018年 お正月

新しい年が始まった。

子どもの頃から年末年始の過ごし方は基本的に変わらない。

年末は家族で大掃除→買い出しへ。大晦日になり、母がおせち料理の準備を始めると、こちらとしても「いよいよか」と気持ちが高ぶってくる。夜になったらこの日ばかりは解禁される大量のジュースやおやつ、長時間のテレビ視聴、夜更かしを存分に楽しんで、だらだらと眠りにつく。元旦の朝は、餅とおせちを前に、どことなく厳かな空気を醸し出した父からお年玉を受け取る(そんな父はこの後じきにへべれけになります)。家族で初詣に出かけて古いお札やらを処分してしまえば、やることは大体終わり。親戚の家だろうが自宅だろうが、あとは3日までひたすらやりたいことをやって過ごす。当時は、凧あげもカルタも心底飽きるまでやった気がする。そして、だいたい3日にもなれば普段の生活が恋しくなる。人というのは、たとえ子どもであっても、何か意味のあることをしていないと案外落ち着かないものなのかもしれない。

 

あくまで個人的な意見だけど、私はいまだにこの年末年始の過ごし方が最高だと思っている。だから自分が親になった今も、なんとなくこの過ごし方にならっているし、この先もそうするだろう。

 

でも、いくらしきたりにならおうとも、一緒に過ごす相手は時の流れとともに変わっていくもの。とても寂しいけど、昔お年玉を一番多くくれたおばあちゃんはもういないし、一緒に遊んだいとこたちも今ではそれぞれの年末年始を過ごしている。不思議なことに、その瞬間は、来年も再来年もずーっと同じ人たちと同じような時間を過ごせると錯覚してしまうけど、そんなことはあり得ないのだ。

 

今年の正月、父は箱根駅伝を見ながら寝落ちしそうなところを何度も孫たちの奇襲攻撃を受けながら、この上なく幸せそうな顔をしていた。母は70歳にもなるのに職場で頼りにされていることを、半分迷惑そうに、半分誇らしげに話していた。そんな両親と兄弟姉妹、姪っ子甥っ子と一緒にゲラゲラ笑って過ごした今年の正月のことを忘れないでおこうと思う。