さんぽ日和

翻訳者・翻訳コーディネーターが日々の散歩中に考えたことを書いています。家族のこと、仕事のこと、自分の身の回りで起きたこと、いろいろなことを考えながら歩いています。

いい格好をやめる

正直に告白すると、私はいい格好しいだ。それも筋金入りの。物心ついた頃にはいつも「ちゃんとした子」に見られたいと思っていたし、そのために必死だった。学校でも、家でも、どこでも、いつでも。当然すべて無意識でやっていたことだけど。

こうやって文字にすると、他人ごとのように「かわいそうになあ」と思う。

 

今でもその節はあって、やはり「翻訳者」として見られる場面では認められたいという欲がどうしたって出る。ずっとやっていきたい仕事だもん、そりゃそうだ。

でもそこで、自分の無知とかだらしなさとかが知らないうちに漏れ出てしまうのではないかと要らない気を使ってしまうのが、たぶんやり過ぎなところ。ずっとつま先立ちで歩いている感じで、緊張がハンパないし、その後の疲労もハンパない。

そうやって涙ぐましい頑張りを続けたところで、期待に応えられなくて後で泣くのは自分なのに。何より、相手はすべてお見通しでしょうに、と我に返って思うのだけど。

 

やはり40年近くもそんなことを続けているととても疲れる。疲れて疲れてやってられなくなる。

最近そのフェーズに入った気がして、なかなかいい感じだ。

「こんなにデキるやつです」とばかりに涼しげな顔で背伸びをしているつもりだったけど、実は周りの人にはバレバレだということを悟り、ならばその上でかけてもらえる期待には精一杯応える努力をすればそれでいいと思うようになった。

それに、知らないことを知らないと言える人や、ダメなところもさらけだせる人は、ものすごく魅力的だ。そんなこんなでいろいろ開き直ってしまった。

 

いつもはどこも頑張っていない自分を保ちつつ、ここぞというときに気張ってやるのが本当は一番格好いいのかもしれない。